【百日紅 〜Miss HOKUSAI〜】海外「在りし日の芸術作品に対する見事なオマージュ」 - 海外の反応 カレー語 -華麗なる誤訳-


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【百日紅 〜Miss HOKUSAI〜】海外「在りし日の芸術作品に対する見事なオマージュ」

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©杉浦日向子・MS.HS/「百日紅」製作委員会

今回は杉浦日向子氏の漫画『百日紅(さるすべり)』を原作とする映画『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』です。
クレヨンしんちゃんの『オトナ帝国の逆襲』などを手掛けた原恵一氏が監督を務めており、国内外で多くの賞を受賞しましたが、興行的にはサルスベリならぬ、大すべr・・・、いえ、なんでもありません。
テーマがテーマだけに作画に関しては、まさに一級品です。
海外のレビューでも、その作画の美しさに言及している人たちが大勢いました。
では、海外の反応に行ってみましょう。

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『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』海外の反応


評価:★★★★★★★★★☆
美しいアニメ


1814年、日本の江戸、本名・鉄蔵という絵師・葛飾北斎と、その娘お栄は依頼を受けて、あるいはただ描きたいが為、素晴らしい浮世絵を描き続けてるの。
鉄蔵は、妻と盲目の末娘とは別居し、距離を置いて暮らしてる。
きっと、障害と病気に対して怖気付いているのだと思う。
その代わりのように、彼はお栄と他の何人かに絵画の指導をしているんだけど、お栄はいくつかの点で彼の才能をも凌駕しているわ。
これは時に彼らにトラブルを持ち込むことになるの。
例えば、彼女の描いた絵の一枚を所有している者がその絵に悪魔が宿っていると信じたときとか。
だけど、鉄蔵はどう対処すべきか分かっている。
お栄がもう少し短気じゃなければ良かったんだけど!

これは漫画『百日紅』を原作とした美しいアニメよ。
漫画を読んだことはないから、どの程度原作に忠実かは分からないけど、見た目は綺麗だし、絵師の生活の様子もとてもよく伝わってくるわ。
1本のストーリーというより、複数の話から成り立っているように感じられるけど、鉄蔵は19世紀の江戸(現在の東京)に実際に生きた人物だから、その話運びが上手く働いているわ。
アニメが好きなら、この映画も好きになるでしょうね。



評価:★★★★★★★★☆☆
芸術と時代の心からの讃歌


『百日紅』は人生の一片を切り取ったアニメだ。
キャラクターたちの日常生活を、軽快で明るいムードの中描いている。
最も美化された時代を描いているかもしれないが、絵師、中でも特にロインのお栄に関するいくつかのエピソードを綴っている。
日本の伝統的絵画、浮世絵の賛辞を表している。

お栄は才能ある絵師・北斎の娘で、彼女自身にも絵の才がある。
時にガサツさも見られるが、細かの気遣いのできる娘だ。特に彼女の絵に対しては。
劇中に、大きな葛藤や冒険はないが、いくつかの奇妙な謎が見られる。
キャラクターが独白するシーンでは、アニメーションがコンスタントに変化し、ただ芸術を堪能するための手法以上のものとなっている。

神秘的な、だが、その時代に不思議とマッチする古典的なタッチで描かれている。
設定はよく練られ、路地の片隅や薄暗い部屋を照らす微かなロウソクの灯りのように、見事な印象をキャラクターたちに与えている。
時折、曖昧な言葉で会話が交わされ、彼らの所作は控えめだ。人々が頻繁に怒鳴りあうようなドラマではない。

『百日紅』は、現代日本アニメが敬う、在りし日の芸術作品に対する見事なオマージュだ。
古風で目立たないが、暖かく生き生きとした作品である。





評価:★★★★★★★★★★
『百日紅』を心から楽しむには文化の違いに対しての偏見を捨てなければならない


『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』は杉浦日向子の漫画『百日紅』をベースにした、野心的で美麗なアニメだ。
このアニメは日本の仏教の概念でもある「日常の本質」の輝かしい表れだ。

100年前に描かれた浮世絵の、庭にいる女の子、金魚が泳ぐ竹でできた水槽と、華美でない装飾を見つめていると、君は自分が何を見ているのか分かっていると考えるかもしれない。
だが、本当に、絵師がその絵の背後に隠した意図を見抜けているのだろうか?

原作漫画は、それぞれ独立したエピソードで構成されているが、複数の主人公がいるというわけではない。
実在の人物、葛飾北斎がシリーズの早い段階で繰り返し登場するが。

葛飾の最も有名な作品は、一連の木版画だが、このアニメの中では見られない。
私たちが見るのは北斎の浮世絵だ。
監督の原や、脚本の丸尾、そしてProduction I.Gは、私たちをおちょくっているのだろうか?
そうではない。北斎はこの物語の主役ではないのだ

江戸時代は慢性的な持病が死に直結するような時代だ。
北斎は健康的な生活を送っているというわけではないが、末期の病を抱える末娘と時間を共にはしたがらない。
100歳まで生きるのを妨げるような何かが感染るのを恐れているのだ。
彼だけが知るいくつかの理由によって、北斎はその年頃に自らが芸術の頂点に達すると信じているのだ。

北斎の娘、お栄をこの作品の中心キャラクターに据えたのは、大胆な采配だ。
彼女は常に場面に登場するし、美しく控えめに描かれている。
そう、『百日紅』はフェミニストの物語なのだ。

お栄は映画の語り手となっている。
彼女もまた優れた絵師だ。
のちに、漫画版では彼女はより成長するが、物語の中心にいるわけではない。
お栄に何かを期待するべきではない。
ただ、彼女の事情・背景を見る時には注意を払うことだ。
君がソファに座ってくつろいでいると、唐突に事が起きるのだ。
それを覚えていてほしい。

お栄の性格は父のそれとよく似ているが、視聴者からは「とげとげしい」とか「好ましくない」性格だと取られるかもしれない。
酔っ払いでだらしない北斎は人に好まれるのに、だ。

「伝統的な」責務のように父の仕事を手伝っているとはいえ、お栄は、彼女の生きた時代としては先進的な女性だ。
補助的な立場に留まらず、経験を通じて自らの技術が修練されているのを自覚している。

北斎からお栄への価値ある指導は、物語の文脈に自然に描かれている。
お栄は意固地で、くだらないことに悩まない。
彼女はその美貌のために一人の男に言い寄られており、また彼女の持つ芸術性のため、また別の男にも好かれている。
お栄は彼女の病気の妹、お猶に対して献身的で、母とも上手くやっている。
環境にうまく適応している。

『百日紅』は江戸時代の芸術家の人生を、私たちに見せてくれる。
お猶は盲目だが、お栄にもらった金魚が竹でできた水槽の中を楽しそうに泳ぐ様を想像し、それが、彼女に病魔からの束の間の休息と喜びを与えてくれる。
『百日紅』は日常の一コマがどのように浮世絵として描かれるかを示しており、映画の流れを妨げない範囲でそれを一枚絵として挿入することで強調している。
川船の姉妹。波立つ水面をなぞる指。荒れた外界の危険。細波が大きな波となり、やがて船を飲み込む荒波となる。それらのシーンが木版画して描かれる。詩的な絵画だ。

お栄が日没時に家路へと歩くシーン、町の建物の陰と日向を通り抜ける。
反対方向へと歩いていく北斎とすれ違う。
お栄は彼に気付いているが、北斎は気づいていないように見える。
二人は陰の中だ。
次の瞬間、お栄は陽の下に出る。
彼女が指の隙間を通して、陽の光を見上げる。
なんとも象徴的な場面だ(君が北斎の功績に詳しければ詳しいほど、より作品に隠された要素に気付くだろう)。

日常の中の、思いやり・気付き・背景。それが『百日紅』の全てだ。
「キャラクタの成長」でも「プロット」でもない。
西洋のしきたりで視野を狭くして、『百日紅」の示す「日々の本質」を見逃すことがないようにしてほしい。

お猶は彼女の幼い心に理解できるものに限界がある中で、多くの物事を見ている。
私たちはみな、様々な事柄に直面するたび、限界を感じる。
それが日常の本質というものだ。
エンディングに挿入された文章で、お栄の結婚に関して書かれているのは、あまりにも多くのことを物語っている。

現実世界でのお栄は、父の助手となる前に絵師仲間の学生とスピード結婚している。
夫に絵師としての才能がないことを悟ったお栄は離婚し、その後2度と結婚していない。
アニメはお栄の結婚を真剣なものとして扱っている。
映画の中では、彼女と同年代の男性との関わり合いとして、その要素が見て取れる。

さて、お栄の描いた、庭で金魚を眩しそうに見ているお猶の絵には何が見える?
おそらく、金魚の作る楽しげな水音を聞こうと集中している、楽しそうな盲目の少女だろう。
しかし、彼女は、木から落ちてくる美しい真っ赤な花に囲まれている。
静かな庭に佇む幼い少女は、死に囚われているのだ。

お栄の絵は、死に分かたれた愛しい妹への、悲しい思い出なのだ。
言葉ではとても表せない。

それが何世紀も昔の絵に込められたものだ。
それが日常の本質に潜むものだ。
それが『百日紅』の描いているものだ。


翻訳元:ttps://goo.gl/Ag9uA2
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コメント
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No title

ブログ名変えたん?

2016-11-27 14:42 │ from URL

No title

私は原作しか読んでいないけど、いろいろ誤解があるような

>『百日紅』はフェミニストの物語

違うよ違うよ、そんなに短絡的じゃないよ。
家計において、江戸の男性は食費を、女性は家賃と教育費を賄っていた。
彼女たちは、すでにして自立した働く女性たちだったんだよ。

>彼女はその美貌のために一人の男に言い寄られており、

どこでそんな誤解が生まれたんだ。
お栄はアゴがしゃくれたブサイクだったんだぜ。
残念ながら縁談には向かない。
そこで、テツゾーはあんまりできの良くない弟子にお栄を押し付けちゃったのであろう、
と杉浦日向子は考えていたんだぜ。
なまじお栄に高い才能があるだけに、そんな結婚はうまくいかない。
感受性の豊かな女性だけに、辛さもひとしおであっただろう、という人生の哀しみ。

2017-01-10 10:21 │ from 名無しさん@PmagazineURL

No title

お栄を気にかけるのは原作でもある歌川国直のことだよ。
「最近いい女がいてさぁ」「色っぽい女か」
「いや、番随院長兵衛のような意気地のある女さ」
「おっとろしい女だの(;´д`)」 その女がお栄だったという…

原作にも映画にも、お栄の結婚話はない。すべて結婚前の話になっている。

2017-03-11 08:37 │ from URL

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